こうしたかまど形土器セットは一須賀古墳群での数例のほか、羽曳野市駒ケ谷の宝献塔(ほうけんとう)山古墳(226)、柏原市高井田横穴をはじめ奈良県・兵庫県・滋賀県など近畿各地から出土している。新しく日本に伝わった社会習俗の反映として漢系渡来民族と結びつけて解釈する説や、当時の一般思想として「黄泉戸喫(よもつへぐい)」を死者に供した炊事用具とみる説もある。黄泉戸喫とは『古事記』上巻の神代の項に表れる言葉で、諸神の始祖イザナギの命が最愛の妻イザナミの命に先立たれ、彼女を慕って死者たちの世界、黄泉国(よみのくに)まで追い求めた説話の中に出てくる。彼女は夫に対して、自分はすでに黄泉戸喫をして死者の国のかまどで調理した食事をし、死後の生活を始めたためもはや現人(うつせみ)に戻るすべがないことを告げた。横穴式石室の中に埋納されたかまど形土器のセットは、まさに死者の食事を炊ぐための象徴的な意味をもっていたとすると、『古事記』のこれら一連の黄泉国の神話が、横穴式石室への埋葬を原体験として生み出されたであろうという解釈と矛盾しない。さらに後期の埋葬に家族構成を単位とする供食の思想が認められることは、これらの群集墳が家を意識し、死後の集落を形成する結果となっていることとともに重要な意味をもってくる。
一須賀古墳群から出土した須恵器の時期は、須恵器を五期に分けた場合の第Ⅱ期前半から第Ⅲ期にかけてのものを主としている。このことは現在までの出土資料によると、古墳の築造は六世紀前半に始まり七世紀中葉におよぶものと推定できる。上述した1号墳は府教委の概報では六世紀中葉と考えているが、土器の中に追葬したものかとみられるやや新しい時期に属するものを除くとほぼ妥当な時期であろう。