古墳群の形成期間

287 ~ 288

興味があるのは、先にあげた平古墳群や西野々古墳群、嶽山古墳群の中に、後期古墳といっても比較的に年代の遡る古墳が含まれていることである。すべての古墳の内容が明らかになっているわけではないので、古墳群が営まれた時期の上限と下限を示すことは困難であるが、西野々古墳群や嶽山古墳群の中には、埴輪円筒を墳丘にめぐらしていた例がある。この事実からすると、後期の初頭に当たる六世紀の前半に古墳の築造が開始されたと考えられる。一方嶽山古墳群の場合には、小規模な横穴式石室を持つ古墳もいくつか含まれていて、終末期に下ってなお築造が続いたのではないかとみられ、古墳群の形成期間が予想以上に長期にわたったことを示している。分布が地域的に密集している点からみても、これらの古墳群は、おそらく同一集落における同一氏族の成員を被葬者としていたことは確実であるから、一〇〇年ないし二〇〇年の期間に次々と築造されていったとしなければならない。そしてその同じ期間に、一須賀古墳群のような大規模な群集墳も、同じ石川谷の中で営まれつつあったと言えば、地域社会の構成の反映として、古墳群がもつ問題提起の意味もはっきりするであろう。