嶽山古墳群と支群の構成

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嶽山古墳群は、南北に分かれて西方に突出した丘陵支脈の尾根上に分布していて、市内の群集墳としては最も数が多く、前記市教育委員会の調査では総数二三基を数えることができる。この中で北の支群は四基、南の支群は一九基からなる。これとは別に、大阪府教育委員会の文化財分布図によると、両群から約三〇〇メートル東方に五基の古墳群が存在する。標高は二一〇メートルあり、市内の古墳分布からみると最も高い位置を占めている。ただしこの東方の五基について実際に踏査した所見では、西方の二群のように横穴式石室など明確な内部構造を有するものは無く、尾根上に直径一五メートル内外の低い小隆起が並んでいる状況であった。したがって、墳丘の可能性は捨てきれないものの、今後なお精査することが必要であると考えられるので、本文ではしばらく考慮の外におくことにしよう(232)。

232 嶽山の南に続く金胎寺山の中腹に営まれた嶽山古墳群(右端)、中央は第3号墳