さて西方の南北二群のうち、埴輪円筒列をめぐらす古墳は北の支群に属する第3号墳で、直径二〇メートル、高さ約三メートルある。遺跡各説でふれるように、円筒とはいいながら器体の上方が開き、たがの突帯は低くて粗雑な作りをなし、刷毛目も明瞭さを欠くなど、型式として最も新しい。内部構造がわからないため、他の横穴式石室をもつ古墳との比較はできないが、埴輪円筒を有することから六世紀の前半と推定したのは前述の通りである。他の三古墳は、石室の大部分が崩壊して側壁の一部を残すに過ぎないものや、石室の石材が堆積しているものなどで、当初は野石を積み上げた小規模な横穴式石室であったとみられる。第2号墳の周辺から採集した須恵器の蓋杯が、六世紀の後半か末葉に属するとみられることも、この場合には貴重な参考資料となろう。