河内長野市五ノ木古墳

294 ~ 295

五ノ木古墳は河内長野市菊水町にあって、極楽寺の南方、近鉄長野線と国道一七〇号線とにはさまれた台地上に営まれた古墳である。もと二〇メートル内外の円墳であったと思われるが、調査当時墳丘の半分はすでになく、内造構造の横穴式石室も玄室の奥壁付近を残して崩壊してしまっていた。石川の左岸に臨む台地上の横穴式石室墳として、河内長野市でも数少ない貴重な遺跡であったが、本市域の側からみても、前述の嶽山古墳群から南方にわずか一・二キロほど離れているにすぎない後期古墳という点で、重要な関連性をもっている。未報告の資料なので概略を述べておくことにしよう。

 石室は玄室の奥壁側で長さ二・五メートルほどが残存し、奥壁で床面の幅が約一・七メートルあることからすると、玄室の長さは四メートルないし五メートル程度の長方形平面のものであったと考えられる。天井石はすでに失われていたが、調査当時東壁の一部が高さ二・三メートルで、野石を五段積みにした構造で遺存していた。奥壁もおそらく五段積みと思われ、最下段には大きな一石を据えている。調査以前すでに採土工事で破壊が進んでいたが、当初撮影された写真によって天井石を架構していたことがわかる。したがって二・三メートルというのはこの石室の玄室内部における本来の高さとみてよい。羨道の状況については全くわからないが、玄室の方向からみて南に開口していたことはいうまでもない(235)。

235 河内長野市五ノ木古墳の横穴式石室が露出した状態、羨道の奥に天井石を載せた玄室が見える