奥壁に接して長脚二段透しをもつ高杯が配置され、玄室の残存部から総数六個の高杯が出土した。別に蓋杯が破片もあわせて九個分出土したが、とくに玄室の北西隅に集中して置いた傾向が認められた。この他、器形上で変わったものはあまり見出せなかったものの、石川上流域の横穴式石室墳の中では須恵器の副葬数が比較的多いことが目立っている。玄室床面には側壁から転落したとみられる丸石を一〇個あまり検出した。ただし玄室内におさめられた棺が石棺か木棺かについて、手がかりとなるような遺物は見出せなかった。須恵器の配列からみて、過去に大きな盗掘を受けていなかったと考えられるので、木棺の可能性が強い。なおこの石室は調査後採土工事のために消滅してしまった。須恵器などの出土品は河内長野市教育委員会で保管されている。蓋杯や高杯の形状からみて六世紀後半の時期にあたると考えられる(236)。