後期の横穴式石室から須恵器が多数発見されることに関連して、この時期の生産遺跡として須恵窯址のことにも触れておくことにしよう。現在市内には、西北部にあたる五軒家と、東南部の佐備川に沿った中佐備に窯址がある。これらの窯址はいずれも未発掘であるが、付近からかなりの量の須恵器の破片、とりわけ強い火熱を受けて相互に融着してしまった窯址でなければ見られない土器片と、スサを混じて塗った窯壁の黒灰色に焼き締った破片などをそれぞれ採集しているので、窯址であることに間違いはない。これら遺跡の所在地と採集した土器片については、第二節の遺跡各説の項で説明する。