須恵器の特色

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須恵器は平第1号墳から出土した例のように、蓋杯、高杯、壺、器台などのほか、西板持の集落遺跡の一角から単独で出土した大型の甕や、中野遺跡の盌に至るまで各種の器形がある。横腹に一孔を穿った小さな球形の器体に、ラッパ状に大きく開いた口頸部を取り付けた𤭯(はそう)と呼ぶ土器や、器台形をした大型の高杯の上部にいくつもの蓋杯をつけた子持高杯は、土師器の中にも須恵器をまねた器形が稀にないわけでもないが、本来須恵器に広く認められるものといえよう(237)。

237 一須賀古墳群出土の子持高杯 (富田林高校保管)

 一見して須恵器は、それ以前に用いられた縄文土器や弥生式土器と異なる特徴をもっている。縄文や弥生式土器が暗褐色、茶褐色あるいは赤褐色など明るい色調を呈するに対して、須恵器は難しくいうと黝黒色(ゆうこくしょく)つまり青味を帯びた灰黒色の土器で、みるからに堅緻な外見である。前者と後者との相違は器形や文様の差が大きいことはいうまでもないが、とくに焼成温度の差にもとづいている。すなわち縄文や弥生式土器は摂氏七〇〇度ないし八〇〇度の比較的低火度で焼成されているのに対して、須恵器は摂氏一〇〇〇度以上、ほぼ一一〇〇度内外の高火度によっている。この温度差は土器の焼成を露天下で平地あるいは平地に近い浅いくぼみを利用して行なうか、あるいは密閉した窯体内で燃料と空気の流通に配慮しながら行なうかの相違で生じる。縄文土器や弥生式土器はおそらく集落の付近で草や木の枝を燃料としてごく短時間に焼き上げていると考えられる点で、窯らしい設備を営まず、絶えず空気の供給を周囲からうけて酸化焔によって行なった焼成法といえる。また土師器はこれと同質の低火度の焼成をしている事実からも明らかなように、弥生式土器製作法の流れをうけて古墳時代に成立したものである。ところが須恵器は日本の在来の土器製作とは全く異なる外来の技法にもとづき、本格的な窯を構築するとともに、松材などの薪を燃料として焼成したことをまず指摘しておく必要がある。土器の製作にあたって縄文土器はいわゆる輪積み法により、また弥生式土器はおそらくごく簡単な回転台を利用して仕上げたであろうと推定されているのに対して、須恵器は輪積みの技法によりながらも、整形にさいして轆轤(ろくろ)の回転を利用しているとみられることも重要な相違点であろう(238)。

238 堺市陶邑古窯址群中の窯址調査状況、低い泉北丘陵の斜面に窯が並んで営まれていて、壮観である(大阪府教委写真)