一九六四年に藤井寺市野中で、一辺の長さ二八メートルの小さな方墳を発掘したことがある。鉄製の甲胄、刀剣、鏃、工具、農具などたくさんの遺物が出土したが、鉄鏃が群をなして配列されていた中に、高さ八センチ内外の小さな台付壺形土器が四個、蓋とともに一括して納められているのを発見した。把手をつけた優勝杯のような形で、土の中から掘り出されたばかりの土器はまるで青銅製品のような鈍い重厚な光沢さえ持っていた。この古墳の築造時期は五世紀中葉と推定され、当時この時期の古墳から須恵器が出土する例はほとんどなかったから、大変興味をそそられた。事実、土器の器形を詳しく観察すると、とても日本での製品とは考えられない特徴をもっていたから、舶載品かもしれないという疑いはすぐに生じた。