さて終末期の段階に入ると、富田林市域では最も注目すべき古墳があらわれる。学史の上からもかなり早い時期に学界の関心をよび『考古学雑誌』に紹介されたお亀石古墳である。次節で古墳の内容について詳細に解説するが、本節ではいくつかの問題点を述べておこう(247)。
お亀石古墳の特色は、花崗岩の大きな切石と天井石で構築した羨道の奥に、大型の家形石棺を据えて、墳丘の封土中に直接埋置したところにある。後期の横穴式石室では羨道の奥に玄室と呼ぶ石積の部屋があり、室内に家形石棺を安置するのが一つのタイプであったが、お亀石古墳の場合には玄室を構築していないわけである。横穴式石室の流れの中で玄室の省略は、簡単化した構造として新しい段階になって登場してきたことはいうまでもない。玄室を省略した代わりに、家形石棺の妻側の正面には、長方形の入口が作られて、閉塞のために別に扉石とも称すべき石栓が備えられている。
終末期のこうした構造は、羨道の奥に玄室をかねた石棺形の小石室を開口させていることから、横口式石室あるいは石棺式石室と称し、さらに簡略化すると羨道の構築をも省略してたんに墓道だけの痕跡を認めるにすぎなくなるので、横口式石棺という場合もある。終末期の段階は全国的にある筈であるが、とくにこのような特色を備えた石室や石棺は、近畿地方、とりわけ奈良県の奈良盆地南部と、大阪府の南東部にあたるこの石川谷に集中している(248)。