ここでもう少し周辺地域の古墳をみて、改めて市域内の宮前山古墳におよぶことにしよう。羽曳野市東部の丘陵地帯に、観音塚と称する終末期古墳があることは、すでに述べた。ここは標高約三〇〇メートルの寺山についで鉢伏山、雨乞山などがあり、古墳は南に延びた尾根の突端を占めている。外形は小規模な円墳で、内部に石棺式石室・前室・羨道を構築し、全長は約六メートル余りある。灌漑用水池新池畔から急な斜面を登ると、頂上に近い肩部の一角に石室が開口していて、整美な切石の組合せにまず驚く(258)。注目すべきことは、石室材がすべて古墳の位置する寺山火山岩層産の黒雲母石英安山岩、いわゆる寺山青石を切石として用いている点である。
石室の中でとくに奥室の石棺に当たる棺身が、大きな塊石を刳抜いて作られていて、上部に棺蓋を載せた構造は、棺蓋に縄掛突起をもつかどうかは不明とはいえ、お亀石古墳の刳抜式家形石棺と共通している。羨道はいま側石だけにすぎないが、もと一石程度の天井石を架していたらしい痕跡が認められる。前室の構造は七、八個の切石を合欠きなどの技法で巧みに組み合わせた左右両側壁と、入口・石棺口の前後壁には、建築用語を借りると梁石・楣石(まぐさいし)・袖石・敷居石(しきいいし)などに相当する石材を架構していて、あたかも建造物内部に入ったかのような観を呈している。