観音塚におけるこのような細部の手法をみると、たんに横穴式石室の規模を縮少し、野石を切石に変えた構造として説明することは困難で、系譜的に全く異質の建築的技法を活用した斬新性がうかがえる。精巧に加工した切石の組合せは、少なくとも畿内地域では他に比較できる例がなく、このことがかえって観音塚の築造年代を一見したところでは、非常に新しく印象づける理由となっている。しかしすでに指摘したようにお亀石古墳との共通性からしても、両者は接近した年代関係にあるといわねばならず、七世紀初頭に朝鮮半島から新たに渡来した要素として、むしろお亀石古墳に先行するものであろう。