河南町の二石室墳

325 ~ 326

この点であわせて観察する必要があるのは、河南町平石のアカハゲ・塚廻両古墳である。ともに石棺式石室と、その前面に前室・羨道をもち、観音塚と異なる点は石室石材の大部分が花崗岩切石からなるため、観音塚ほど精緻な加工の印象は与えない。しかし花崗岩石材ではお亀石古墳と共通性があるばかりでなく、塚廻古墳の場合についてみると、部分的に寺山青石の使用が認められるなど、石川谷周辺に分布するグループとして無視できない関連性をもっている。

 平石は葛城山西麓のほぼ中央にあって、上述した磯長谷から南へ一丘陵を介して約三キロ隔たっている。この丘陵の上には後期の一須賀古墳群がある。平石は東西の長さ二キロ、南北の幅二〇〇メートルの狭い谷をなし、谷奥には高貴寺の名刹をもつが、アカハゲ・塚廻両古墳はこの途中に一五〇メートルの間隔で南斜面に並んでいる。