谷口に近いアカハゲは全長約九・五メートルあり、石棺式石室の内法は長さ二・三メートル、幅一・五メートル、高さ約一・二メートルで、三側壁・天井・床をそれぞれ一石の花崗岩切石で構成し入口には別の扉石で塞ぐための簡単な仕口が設けてあった。注目すべきことは、床石が前室に向かって約〇・五メートル台石状に張り出していたことと、内部の床石上面はわずかに甲高に仕上げられていて、その中央には長さ一八六センチ、幅六六センチの細長い長方形に漆喰(しっくい)を塗った痕跡がはっきりと認められた点である。おそらく漆喰は床石と上面の榛原石(はいばらいし)を組み合わせた棺台とを接合するためのもので、さらにこの上に棺を安置したと思われる。いわば漆喰の範囲は棺を配置した位置と、規模と、そして単棺のみの埋葬であったことを知る重要な手がかりとなる(259)。
前室は長さ約三・四メートル、幅約一・八メートル、高さ約一・五メートルあり、羨道部との間は両袖をなして接している。側壁は東西両壁とも各二石、天井石も二石、いずれも花崗岩切石である。床面は地山上に六センチの厚さに砂礫を敷き、その上に長方形に割截した大小の榛原石を碁盤割に敷きつめ、羨道との境には同じ板石を立てて仕切るなど入念な手法が見られた。榛原石と称するのは、奈良県東部の榛原町周辺に広く産出する流紋石英安山岩の一種で、茶褐色をした粗質ではあるが、板状に剥離する性質をもち、板石を瓦塼の代用として利用したらしい。羨道の入口には人頭大の玉石を沢山積み上げて閉塞石としていた。
すでに盗掘をうけていたため、出土遺物の量は少なかったが、漆塗籠棺(うるしぬりかごかん)片・ガラス製扁平管玉・黄褐釉(おうかつゆう)をかけた有蓋の円面硯(えんめんけん)など、興味深い重要な資料を発見した(260)。
遺物の説明を試みる前に、同様な石室の構造をもち、共通した遺物が出土したもう一方の塚廻古墳についても解説しておくことにしよう。塚廻古墳もアカハゲ古墳と同様に、丘陵の南斜面に階段状に開かれた水田の一角を占めている。外形は大きく変わっているが、おそらく直径一二~三メートル、高さ三メートル余りの円墳か、同程度の規模をもつ方墳であったと思われる。