これまでも述べたように切石を用いて石室を構築する技法は、七世紀に入って出現する新しい要素である。おそらく切石にともなって朝鮮半島から伝来したのは、奥室の前に、前室を付設した小規模な石棺式石室であろう(265)。横穴式石室の中にも切石の技法が採用されている点で、墓制の変革と直ちに結びつかぬ変化であったが、野石積みの石室横築とは比較にならない切石加工の負担が加わったため、従来の横穴式石室の規模は急速に縮少していった。羨道をもつ本来の横穴式系統の石室に対して羨道を省略した切石による小型の石室が出現するのは、このあらわれに他ならない。後者の典型的な例として市内南旭ケ丘町の中にあった宮前山古墳を挙げることができる。この宮前山古墳はお亀石古墳から北北東にわずかに四〇〇メートル離れているにすぎず、同じ羽曳野丘陵から東方に分岐する一支脈上に位置し、先端に真名井古墳があった。