播磨から運ばれた石材

338 ~ 339

市域の後期・終末期の古墳だけについてみても種々の石材が用いられている。田中古墳群の2号墳や3号墳からは、凝灰岩製の石棺片が出土しているし、お亀石古墳の家形石棺も巨大な凝灰岩製の蓋と身とからなる。これらの産地は市域に隣接する太子町の二上山麓とみられる。ところが宮前山古墳の組合式石棺の用材は、市域からはるかに離れた兵庫県加西市にある高室石(たかむろいし)が最も近似している(270)。またお亀石古墳の中では石栓などにごくわずかではあるが、寺山青石と称する黒雲母石英安山岩も用いられている。この石材は市域内に産出せず、羽曳野市東部の寺山付近から運ばれてきている。市域外に位置するというものの、お亀石古墳と年代的に非常に近い時期に構築されたとみられる河南町平石のアカハゲ、塚廻両古墳の床に敷いた板石には、奈良県東部の室生火山岩の一種に属する榛原石(はいばらいし)が用いられている(271)。

270 兵庫県加西市にある高室石の石切場あと
271 塚廻古墳羨道入口の閉塞石と床面の敷石、塼敷きを模したと考えられる

 一方、横穴式石室の用材は、多くの場合花崗岩であって、田中古墳群のように比較的近傍の山中から、野石として露出していた材石をそのまま石室材に利用している。これに対して、お亀石古墳や錦織の南坪池古墳の花崗岩切石材は、おそらく葛城山腹など相当の距離をもつ産地から、しかも石材の内壁面と周辺を割截する、はるかに加工度の高い技法で作られ、運ばれてきている。切石の技法が登場する頃から、日本でも貝殻を焙焼した良質の炭酸石灰が、接合面の目地や、石室内壁の装飾用の漆喰として用いられているが、これなども朝鮮半島の高句麗・百済・新羅の諸古墳には、もっと古くから用いられ引き続いて使われて来た素材である。問題が多岐にわたるので、ここでは主要な石材産地をめぐる問題として、二上山の凝灰岩、高砂市の竜山石、加西市の高室石の産地とをそれぞれ観察しておくことにする。