二上山は中新世の中ごろにあたる約千六百万年前に、数回にわたる活動で火山岩を噴出し、堆積岩の形成をみたというが、二上層群と総称される中に最も古いドンズルボー累層が含まれている。下部ドンズルボー層はこの累層の中でも最下層に位置する堆積岩で、牡丹洞周辺に露出するものにあたり、南方の岩屋・鹿谷寺址周辺のものは、これと関係する火山岩として鹿谷火山岩と称されている。前記の森本氏らの説明によると、
下部ドンズルボー層は、春日山南麓の牡丹洞付近から南に好露出をみる。凹凸のある基盤上に直接にのり牡丹洞付近で実層厚三〇メートル以上である。白色の瀝青岩質凝灰岩を主とし瀝青岩の角礫を多量にふくむ。上下の岩相の変化は比較的すくなく層理も認めにくい。この堆積岩と関係する火山岩は鹿谷火山岩で、その熔岩との間は、しばしば小断層により境され、また熔岩の風化部と凝灰岩の区別が困難なばあいが多いため、具体的にその関係を明らかにしえないが、一応両者の関係を同時異相的なものとみている(「二上山の地質」四頁)(275)。
とある。地学の非常に専門的な論文であるが、お亀石古墳の石棺をはじめ二上山産凝灰岩の成因と組成を考えるうえで、大変参考になる文献である。なお考古学から石棺石材を検討した間壁忠彦氏は、鹿谷寺址付近の鹿谷火山岩と、上・中・下部のドンズルボー層中の凝灰岩を総称して二上山白石と呼び、二上山北部から穴虫にかけての畑火山岩系の凝灰岩をピンク石と称している。ピンク石も石棺石材として利用された凝灰岩であるが、奈良盆地東部の桜井市から天理市にかけての地域に遺存する石棺に主として見られる。