竜山は播磨国に属していた。兵庫県も明石を西に越えると風光は一変して畿内とはまた異なる山陽道の景観が広がり、溜池の多い印南野は播磨灘の照り返しを受けて、いかにも南向きの海岸平野といった感じを与える。竜山は加古川・姫路両市にはさまれた高砂市にある。この付近一帯が大和・河内など畿内に広く供給された石棺材産地かと推定される竜山石の名を生じた地域である。すぐ東側の平野には加古川が東西に蛇行しつつ播磨灘に注いでいて、かつて古代においては海岸線がもっと大きく内陸に湾入していたことを思わせる。もともと竜山は北方の中国山地から播磨灘に向かって張り出した岬の一角であったと考えられ、東西の長さ二キロ、南北の幅〇・五キロ、標高一一〇メートル余りの急峻な小丘で、全山が竜山石と称する熔結凝灰岩からなっている。
この竜山をはさむ北側に山陽本線、国道二号線、加古川バイパスが相接して通じ、反対のすぐ南側には山陽新幹線が走るという東西の要衝に当たっている。新大阪から下りの博多方面に向かう新幹線に乗ると、印南野の平野を過ぎて加古川を渡った直後に、右側の車窓からこの竜山が見える。現在もなお盛んに石材を採掘中の石切場になっているため、平凡な丘陵というよりも、切り立った石崖が続いていて、陽光を受けて輝く青みを帯びた白い石が、大理石の露頭に似たまばゆい印象を与える(277)。これと同質の熔結凝灰岩は、地質学的に宝殿ハリ質塊状凝灰岩として伊勢累層に属し、竜山から北方の加西市にかけて高室石・長(おさ)石と称する類似石材の分布をみるというから、石棺材の産出地域は相当広い範囲にわたることになる。