水系による石材運搬

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宮前山古墳の石棺材を、この竜山石につながる北方の加西市高室石とすることに異論がなければ、この終末期の組合式に属する石棺式石室は、播磨南部から河内南部へとはるばる運ばれたと考えられる。加西市高室から富田林市域までは直線距離にしても八〇キロ余りあり、迂回路をとれば一〇〇キロは超えたであろう。ただし棺材は蓋石、側石、底石など六個の石材に分かれているから、最も重い石材でも一個二・五トン程度である。おそらく運搬にさいしては筏などの木材の浮力を利用して、海路と水系が活用されたであろう。この場合に生じる疑問は、後期と終末期の石棺石材に限っていえば、二上山は凝灰岩の産地があるにもかかわらず、はるかに遠隔地の播磨竜山の地域にまで石材を求めなければならなかった理由は何であろうかという点である。そしてこの問題はたんに宮前山古墳の石棺だけに関することではなく、広く河内あるいは大和の各地にもたらされた竜山石の石棺材全体に対していいうることである。