二上山白石の利用

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二上山産の石材は五世紀末から九世紀にかけて、時期により盛衰はあったものの、畿内およびその周辺にも広く供給された。その用途はたんに石棺石材に限らず、後半の段階になると寺院造営のための基壇をはじめ、各種切石材としても不可欠のものとなった。やや新しい時期の史料であるが、正倉院文書の中に、七五九年(天平宝字三年)、大和法華寺の造営を記録した「造金堂所解案」があり、「大阪ノ白石」を切り出した記事が見えるのを紹介しておくとしよう。