銅鏃の特徴

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さて銅鏃は比較的保存のよい二本を除くと、他の七本は銹化により変形してしまっているが、いずれも同一型式の定角有茎箆被式(ていかくゆうけいのかつぎしき)に属している(288)。大きさの点で若干の差はあるが、長さ五・八センチ、幅二センチある。この銅鏃の型式については前記の後藤守一氏によって、銅鏃の中で最も形状の複雑なものの一つという考察があるとおり、明確な鎬(しのぎ)をもつ鏃身、円錐形に近い箆被、および砥石で研磨した擦痕をのこす茎と、かなり入念な形状に仕上げられている(後藤守一「原史時代の武器と武装」『考古学講座』一 雄山閣 一九二八年)。

288 廿山古墳出土銅鏃実測図

 古墳の年代については今後の調査で埴輪の検出によって確定する以外に方法がないが、銅鏃をともなう点から前期古墳として四世紀後半の時期をあてることができるであろう。

 この廿山古墳は、一九七〇年代になって、廿山の南に羽曳野丘陵を横断して東西方向に通じる市道川西半田線の開設が計画され、墳丘の一部が計画路線にかかるため、関係者の間で完全保存をめぐって大いに憂慮された。さいわい大阪府教育委員会が、古墳に接する丘陵内部にトンネル道を設置する方法で、関係機関に行政指導を行ない、工法の大幅変更をみた。将来この古墳は国指定史跡として保存されるのに充分な価値を有している。なお前方後円墳の西方に円墳状に隆起した地形があり、やはり古墳かと考えられるが、墳丘の規模があまりにも小さいので時期、その他の内容については今後の調査にまたねばならない。