本古墳より出土した遺物の配列状態はつぎのようになっていた。
まず、棺内に存したと推定される遺物は中央東寄り、棺東端の小口板から約一・六メートル西側付近の盗掘跡と思われる撹乱された部分(水銀朱が最も顕著で遺体の部分と推定される)から平縁の銅鏡の破片と管玉二個があった。さらに、棺の西端の小口板から二〇センチ東側の棺の中心線上に土師質の甕形土器が一個発見された。これは口縁部を下に倒立した状態で出土した。
棺外では三カ所から遺物を得た。まず、槨の東端は遺骸の頭側に当たると推測できるが、小口板の外側にほぼ接して三角縁三神三獣獣帯鏡を中心に、それをはさんで三本の鉇、一本の錐状工具、二口の刀子、鉄製棒状利器二本が横たえてあった。鏡は槨の中心線上の粘土壁に約六〇度の角度をもって立てかけられていた。この鏡の南側には袋部を備えた小型の斧頭が直立しており、これら一群の南にやや離れて大型の扁平な短冊形鉄斧がこれまた直立していた(考古一七―(1)・(2))(295)。
つぎに、槨東部の南壁には、槨の東端から〇・五メートルと二メートルの間に遺物が存在していた。まず東から順に四本、八本、三本の三小群をなしていた鉄鏃がある。これらは矢柄を装着したまま上から垂直に挿し込まれたものらしく、鋒は全部下向きであったが、鏃身以外はすべて朽失してした。ついで、水平に横たえられた鉄槍が鋒を西に向けて二口と、それを取り囲むように三個の碧玉製紡錘車が底面の平滑な側を外方に向けて粘土壁に貼り付けてあった(考古一六―(1))(196)。
最後に南壁に対応して北壁には槨の東端から〇・八メートル離れたところに九本の鉄鏃が一群をなして、南側と同様矢柄を装着して垂直に挿し込まれたと思われる状態で出土した。鏃身以外が朽失しているのも南側と同様であった。