出土の各種遺物

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つぎに、出土遺物について順に解説をしていくことにする。

 三角縁三神三獣獣帯鏡 一面。直径二二・一センチ、材質は青銅である。この鏡は奈良県新山古墳および群馬県柴崎古墳にそれぞれ同笵鏡がある。新山古墳出土の鏡は文様の神像の図形が整っていること、獣帯の図柄も比較的正しく表現されていることなどから、最初に鋳造されたと考えられるが、この鏡をもって梅原末治氏は仿製の同形式鏡の原形にあたる中国鏡ではないかとした。近年、小林行雄氏もこの鏡を中国製であるとみている。ついでながら、新山古墳は三六面の鏡を副葬していた京都府椿井の大塚山古墳との間に同笵鏡を分有しており、両古墳は大和と山城南部にわかれているが、関係の深さを思わせる。

 さて、この鏡の文様であるが、中央に有節重弧文圏に囲まれた大きな円形の鈕を中心として、内区に六個の高い素乳を配し、その間に神像と獣形を交互に放射状に配してある。その外側には円圏を有する一〇個の小乳の間に双魚・蛙・亀・象・鳥・魚・怪獣・蛙・怪獣・怪獣の図像を入れた獣帯文があり、その外側に櫛歯文・鋸歯文・複線波文・鋸歯文の四帯からなる外区があって、一五ミリの高さの三角縁に接している。面の反りは四ミリである。なお、獣帯の中の怪獣の中には龍・虎とみることができるものがあり、これに明瞭な図柄の亀・鳥とあわせて蒼龍・白虎・朱雀・玄武の四宮を表象していると見ることも可能である。

 平縁銅鏡 二個。推定一面。破片の一個は三×二センチ角、他は一×二センチ角でともに同様な形状の鏡縁の破片に属していて、もと同一鏡の部分を占めていたことが分かる。材質は白銅で、もとの鏡は鏡縁の断面からみて画文帯神獣鏡の類に属し、直径は約一八センチと推定される。

 管玉 二個。大きい方は長さ三五・三ミリ、直径一〇・三ミリで内径五ミリの孔が貫通している。小さい方は長さ一〇・一ミリ、直径三ミリ、貫通孔の内径一・五ミリである。材質はともに白色に近い薄緑色の硬質の碧玉で美麗な光沢を有している。また、使用による磨滅のあとがある。本古墳からは盗掘時に遺棄されたこの二個の管玉しか採取できなかったが、これによって、少なくとも二連の管玉が存在したことが推測できる。

 紡錘車 三個。大・中・小の三個があって材質はいづれも硬質の碧玉である。直径は大きい方から五・九センチ、五・一センチ、三・九四センチ、高さは一・四センチ、一・二センチ、〇・八センチ、表面の刳型はそれぞれ三段・二段・一段である。最大品は最も入念な加工が加えられているのですこし説明しておく。まず、周縁の厚さは四ミリあるが、側面に匙面取りが加えられていて強く内弯している。さらに、表面の刳型も大部分が内弯するように削られていて、各段の接するところでは明瞭な稜を形作っている。表面の中央はとくに突出した部分があって、ここに直径四ミリの円孔を表面から穿ち、裏面では径三ミリの円孔となって貫通している。裏面は平面をなさず、円孔を中心に直径四六ミリの内形に浅くくぼめてあって、中央が最も深く一ミリに達している。とくに表面はよく研磨され美麗な光沢を有している(考古一九―(2))(193)。

 鉄鎗 二口。一口は長さ三五センチ、幅三センチ、厚さ一センチ、他の一口は長さ三四・二センチ、幅二・九センチ、厚さ〇・九センチ。鋒は一見、剣先状を呈している。ほとんど全面に木鞘の痕跡と解せられる木質物が付着している。関の部分が明らかでなく、茎の大きさ、形状などは知りがたい(考古一八―(2))(296)。

296 真名井古墳出土の鉄斧、刀子、鉇、錐などの鉄器

 鉄鏃 二四本。三種の形状があり、数の多いものから順に説明する。第一は逆刺を備えた腸抉柳葉式ともいうべきもの一四個で、長さ八センチ内外、幅約二センチ、厚さ五ミリ、重さ一七グラム。つぎに、逆刺を備えていない椿葉形をなすもの九個で、長さ七・五センチ内外、幅二センチ、厚さ八ミリ、重さ二四グラム。最後の一個は鑿頭形に似たもので、長さ五センチ、幅一・八センチ、厚さ四ミリ。三種とも有茎式である(考古一八―(1))(297)。

297 真名井古墳出土の各種の鉄鏃

 鉄斧頭 二個。大きい方は長さ二九・六センチ、幅七・六センチ、厚さ二センチで刃縁は弯曲して中央が突出し、両面から研磨して刃を着けている。片側の中央よりやや上部に、本来斧身に結縛されていた木柄の痕跡が錆着していたことは注目される。重さは一七二〇グラムある。他の一個は長さ九センチ、刃の部分の幅四・五センチ、厚さ一・八センチ、重さは二二〇グラムある。形状は通有の袋を頭部に有する無有のものである(考古一八―(2))(296)。

 鉇 三本。完形品は長さ五一センチの一本で、他は六一センチ以上に達するものと四二センチ以上の破損品二本であった(考古一八―(2))。

 鉄製棒状利器 二個。二個とも長さ二〇センチ弱、幅約一センチ、厚さ約五ミリで用途を確かめがたい鉄製品である。

 刀子 二個。一個は長さ九センチ、幅一・七センチ、厚さ四ミリ、他は長さ八・二センチ、幅一・七センチ、厚さ三ミリで、両方とも柄口は刀身とやや斜角をなしている(考古一八―(1))(296)。

 鉄錐 一本。残存長は一四・五センチであった(考古一八―(1))(296)。

 土師甕形土器 一個。高さ一六・七センチ、口径一二・七センチ、腹径一七・五センチの布留式の土器である。器体の上半の外面に細かい刷毛目仕上げのあとが認められる(298)。

298 真名井古墳出土の布留式土器

 一九六五年までの間に、この地域一帯は宅地造成工事により大きく地形が変わってしまったので、現在では実測図と写真により墳丘を再現するしか方法がない。(白土芳人)