2号墳の外形と構造

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第2号墳は丘陵西縁の突出した支脈上に営まれた円墳で、東側は崖面となって崩れ、北側は耕地と農道のために削られていたものの、直径約一五メートル、高さ約二・五メートルの規模を有し、頂上はやや平坦面をなしている。調査に先立って作製した墳丘実測図によると、墳丘の南側が舌状に延びて一見小規模な前方後円墳となるのではないかと思わせたが、この部分が地山からなることと、円墳部分も封土としての盛土を厚さわずか〇・五メートル程度しか行なっていないこと、古墳が後期に属することなどから、頂上部分のみを墳丘とする円墳と見るべきであろう(317)。

317 板持2号墳墳形実測図

 墳丘上部の中央には、〇・五メートルの茶褐色山土からなる盛土があり、その下には粘土質の淡褐色を帯びたやや堅硬な地山があった。この地山を南北の方向に長さ三・四メートル、東西の幅一・八メートル、深さ〇・三メートルに掘り込んだ隅丸長方形の土壙が存在し、その中央に長さ二メートル、幅〇・五メートル、深さ〇・三メートルの遺構があって、これが内部構造としての木棺の規模を示すものと考えられる(318)。木棺の痕跡は全く残存していなかったが、おそらく組合式箱形の構造で、長軸を磁北に対して一〇度ほど西偏したほぼ南北線上においている。

318 板持2号墳の本棺直葬と土壙および遺物の出土状態実測図