2号墳が須恵器をともない、六世紀前半ごろと推定される後期古墳に属するのに対して、3号墳は前方後方墳の外形をもち、銅鏃を副葬していた事実とをあわせると、前期古墳までさかのぼるとしなければならない。しかも主体部の構造が排水施設を欠くものの、墓壙の中央に粘土棺床を設けていて、通有の粘土槨というよりは、前述の真名井古墳の内部構造に共通する要素が認められる。こうした点からすると前期古墳として四世紀末ごろの年代を考えるべきであろう。
両古墳の年代
2号墳が須恵器をともない、六世紀前半ごろと推定される後期古墳に属するのに対して、3号墳は前方後方墳の外形をもち、銅鏃を副葬していた事実とをあわせると、前期古墳までさかのぼるとしなければならない。しかも主体部の構造が排水施設を欠くものの、墓壙の中央に粘土棺床を設けていて、通有の粘土槨というよりは、前述の真名井古墳の内部構造に共通する要素が認められる。こうした点からすると前期古墳として四世紀末ごろの年代を考えるべきであろう。