田中古墳群は、標高二八一・六メートルの嶽山から西北西の方向に派生した丘陵南斜面に位置していて、伏見堂の地に属し、平地との比高差約二〇メートルの丘陵上にある(340)。この丘陵の西側には上流域に入って川幅が狭くなった石川をはさんで羽曳野丘陵の南端が台地状に広がり、それを越えて和泉地域の信太山丘陵を望見できる。一方、眼を転じて背後をみると、西南方には金剛山の一角を身近に眺めることができる景勝の地である。しかも眼下の伏見堂の位置する平地には四基の円墳からなる西野々古墳群があり、さらに南方にあたる嶽山西斜面には二三基の、主に横穴式石室を内部構造としてもつ円墳群がある。
さて田中古墳群に対する調査はこの丘陵の西端に位置した第1号墳、これと東に続いた第2号墳、第3号墳の三基がその対象となったが、三基はともにすでに盗掘をうけていて石室内部は著しく撹乱されていた。なおその後の分布調査によると、東方のまだ宅地として造成されていない山林中にも、小規模な円墳とみられる小隆起が認められた。直径九メートル、高さ二・五メートルの大きさで内部構造などは全くわからない。もしこれが古墳と確認されれば、田中古墳群は五基の円墳からなることになる。