本古墳群中最も長大な横穴式石室をもつ、径約二五メートル、高さ約四メートルの円墳で、丘陵の最南端付近に位置している。墳丘は造成工事の際に大きく削平されてしまっていて、現在では玄室部分をおおうのみの状況で残っているにすぎず、羨道部は全く失われている。横穴式石室の本来の規模は、全長一〇・五メートルを測り、玄室長五・五メートル、羨道長五メートルで、第4号墳同様、石室はやや小型の割石を天井部に向かって持ち送りながら積み上げた側壁からなり、天井部は大型割石を用いておおっている。石室自体は南南西方向に開口している。玄室内は現在水が溜っているが、調査時には玄室と羨道部の底に礫石を敷いた施設が認められた。
出土遺物は発掘調査された三基の古墳中では最も豊富で、石室内部からそれぞれ須恵質の高杯四個体分、𤭯(はぞう)三個体分、壺一個、蓋七個、小型壺を装飾として肩部に付けた壺の残片があった。それとともに鉄鏃五本、鉄刀残欠二片の鉄製品や鉄地金銅張の辻金具五点、杏葉などの馬具類が出土している。