両袖式の横穴式石室を内部主体とする径約二五メートル、高さ約四メートルの円墳である。石室の規模は全長八・五メートル、玄室長三・八メートル、羨道長四・七メートルで、石室は南南西に開口する。本墳は古来著しく撹乱、破壊されたために調査時にはすでに天井石も残存せず、玄室奥壁および両側壁が存在していたにすぎない。壁面は4号墳とはことなって、加工された大型の石が玄室残存部で二段・羨道残存部で一段確認された。玄室床面は扁平な石で二分され、羨道と玄室の取り付きの床面には板状の石棺材を利用した凝灰岩片が立てられ、羨道と玄室を区画していた。石室内にはさらに扉施設に関連する境石もしくは框石(かまちいし)と考えられるものを置き、側壁、天井を比較的垂直・直角状に積石していた。石室床面には礫石を敷きつめ、その上に框石部分より羨道入口に向かって石室中央の長軸線に沿いまっすぐに走る礫石を充填した排水溝を設置していた。石室内部からは凝灰岩製石棺の破片が若干ながら検出され、前述した2号墳同様、石棺を主体とするものがあったらしい。
遺物は古くから著しく撹乱され顕著なものはないが、須恵器壺破片少量、近世土器片若干と石製の隔壁片が検出された。