平古墳群は富田林市喜志に所在する。すなわち、平部落から南南西方向に約二五〇メートル離れた、羽曳野丘陵の中央東端突端部の標高約七〇メートル上に前方部を西方向に向けた前方後方墳の第1号墳と、そこより西側約五〇メートル離れた同一丘陵上の標高八〇メートル上に位置する円墳の第2号墳の二基から本古墳群は形成されている。第1号墳の東方の河岸段丘上には弥生時代以降の複合遺跡として古くから著名な喜志遺跡があり、石川をはさんで、王陵の谷と俗称される磯長谷と太子丘陵に対峙し、遠く二上山、葛城山、金剛山を見はるかす南河内地方随一の絶景の地である(349)。
本古墳群が所在する地域一帯が不動産会社の手により宅地造成されることになり、それに先立つ一九七〇年五月にまず分布調査され、同年九月試掘調査された結果、第1・2号両古墳の存在が明らかとなり、現状保存の方向で協議された。ところが翌年九月突如ブルドーザーで第1・2号両古墳の墳頂部を削平される事態が生じ、最終的に一九七二年一月末より約一カ月間を要して記録保存のための発掘調査が実施された。現在本地域は宅地造成され、新家屋も若干立ち並ぶ住宅地と化し、古墳の面影をどこにも残さず、その間の高校生達の懸命な保存運動が展開されたことを忘れてしまったかのようである。