(1) 第1号墳(前方後方墳)

429 ~ 430

 調査の結果、本墳の墳丘の規模は、不明瞭ながら、全長約五〇メートル、後方部の一辺約三〇メートル、前方部の長さ約二〇メートルと推定され、前方部幅は後方部の一辺の長さを越える可能性もある。墳丘の各所には後世に流失し変形した部分があり、さらに南側くびれ部は竹林のための変形が顕著である。北側では北に向かって延びる小支丘を切断せずそのまま利用しており、葺石や埴輪列、溝等の外部施設も全くなかった。前方部では南・北両斜面は原形を比較的残していると考えられるが、西側斜面は中央が突出しており、中央部を残して両側の盛土などが流失したとも考えられる。前方部頂には調査当初から盛土は確認されず、後方部頂はブルドーザーの削平により地山が露出して盛土の有無は明確ではないが、墳丘は自然地形を最大限利用して盛土による整形を余り施さなかったと推定される。主体部は、ブルドーザーの削平により詳細は一切不明であるが、試掘調査の際に墳丘の主軸と直交する長軸を南北方向にとった木棺直葬であることが確認されている(350・351)。

350 破壊、削平される以前の平第1号墳
351 平1号墳墳形実測図

 主体部にともなう遺物には、ブルドーザーによって削平された墳頂部の土を集積しその中から遺物片を摘出すると同時にふるいにかけて採集した結果、器台、子持高杯、壺、四耳壺、有蓋坩、小壺、提瓶、𤭯、蓋坏各一個体、台付長頸壺二個体、有蓋高杯四個体、無蓋高杯三個体の須恵器類の他に土師器壺、鉄釘、銅製耳飾片一点などがある。

 墳丘表土中からは須恵器甕片、杯、高杯などの破片や土師器壺破片などが検出されたが、元来主体部にともなっていたかどうかは明らかでない。