市域の南端に近い石川の上流にあたる嬉・横山に接した嶽山の西麓に分布する後期の古墳群であって、現在二三基の存在が知られている。近鉄長野線の汐ノ宮駅から東南東約七〇〇メートルの地点を中心に、東西約二〇〇メートル、南北四〇〇メートルの範囲にわたっている。墳丘はすべて円墳とみられ、このうち第17号墳が直径二八メートルの規模を有するのを除くと、他はすべてこれより小さく、一〇メートル余りの大きさに属するものが多い。注目すべきことは、この群集墳の中に第3号墳のように円筒埴輪をめぐらした古墳が含まれていることで、内部構造の判明する例が野石を積み上げた横穴式石室からなる事実とあわせて考えてみると、後期でもかなりの期間をかけて形成された古墳群ということができよう(354)。
嶽山古墳群といっても、標高二九〇メートルの山頂部よりも低い中腹の西斜面に形成されていて、標高は一二〇メートルから二〇〇メートルの間を占めている。この付近では石川の東岸に沿って狭い河岸段丘と台地があり、丘麓の傾斜変換線上に位置する腰神神社がちょうど標高一〇〇メートルの高さにあるから、むしろ丘麓から中腹にかけて古墳は分布していることになる。この古墳群から北方に四〇〇メートル離れて田中古墳群があり、南方の河内長野市との境界に至る約一キロの山腹にはまだ古墳を見出していないので、現在の段階ではこの嶽山古墳群を本市域の最南端に位置する古墳と称してもよい。