これに対して最も高い位置にある第22号墳は、杉林中にあって円墳の外形はよく残しているものの、石室上部と羨道入口とに大きな既掘孔を有している。いま玄室奥壁に接する天井石の間隙から、かろうじて内部に出入することが可能なので、略測図とともに石室内部の状況を紹介しておくことにしよう(362・363)。
石室は花崗岩質の丸味を帯びた野石を乱積みにして構築した両袖式の型式で、狭長な平面形に属している。羨道は南に向かって開口し、長軸の方向は磁北に対して一六度西に偏している。全長は約五メートルに達し、この中玄室長は二・九九メートルあるので、羨道の長さはちょうど二メートルである。玄室の奥壁での幅が最も広くて一・三三メートル、玄室入口の幅は一・〇八メートルある。羨道の幅は狭くて〇・八メートルにすぎない。石室内部に大量の土砂が流入しているので高さについては測定できないが、玄室で一メートル、羨道で〇・四メートルの現高があるので、おそらく本来は玄室で二メートル、羨道で一・五メートルの高さがあったとみられる。玄室と羨道とで天井石の高さに〇・六メートルの高さの差をもつことは、石室の年代を考える上で一つの特色となろう。
石室の側壁に直径五〇センチないし八〇センチの比較的小さい野石を用い、上半部が持ち送りで内部にせり出していること、奥壁の石材も小型の野石を積み上げていて、表面を切石的に加工していない点にも注目したい。天井石には玄室、羨道ともに二石を架構し、玄室の場合長さの不足する部分は入口の眉石上の石を内部に持ち送って補っている。玄室天井石の下面が平滑に加工されず、大きな塊石のまま用いていることも指摘できよう。