田中古墳群の1号墳の副葬品に馬具をともない、須恵器の型式が2号墳、3号墳に比べてやや古いと認められ、さらに古墳の立地条件から観察して上記の4号墳が最も新しいと推定できることは同古墳群の項で述べたとおりである。したがって六世紀後半に位置づけられる田中古墳群の中で、4号墳はその末葉、すなわち第4四半期と考えた。このことは嶽山古墳群中の22号墳の年代についても、同様に第4四半期に属するものと解することができよう。嶽山古墳群における22号墳の築造立地が、四グループの中で最も高い位置を占めていて、各グループ内部でそれぞれ時期差をもって古墳が築造されたとしても、22号墳を含むグループは他よりも遅れて築造が始まったとみられる以上、最も新しい六世紀の第4四半期とすることに矛盾しない。
いずれにしてもこの嶽山古墳群は本市域で現存する最大規模の群集墳であって、一部に破壊された古墳があるものの、全体としてよく見るべき姿を残している。したがって六世紀代の集落遺跡と対比すべき内容と構成をもつ遺跡として、今後の調査に期待する点が多く、その意味からも保存すべき文化財である。