さて、家形石棺は前節の後期における横穴式石室のように玄室を営んで内部に安置したものではなく、直接墳丘の封土中に埋納し、南側のみに羨道を設けている。形状は刳抜式の棺身に、縄掛突起をもつ棺蓋を組み合わせたもので、棺身の妻側にあたる南面に横幅七七センチ、高さ三七センチの長方形の入口を開口させたいわゆる横口式石棺である。この開口部に挿入する石栓ともいうべき扉石が現存している。
棺蓋の長さは二六七センチ、幅一七四センチ、高さ七六センチあり、棺身と合わせた通高は一六〇センチ余りもあって、家形石棺としては大型の部類に属している。棺蓋の上面は長期にわたり露出して風雨にさらされてきたため磨滅が目立つが、中央に長さ一六五センチ、幅七〇センチ内外の平坦面がある。周囲の四注をなす斜面には、前後に各一個、左右の平に各二個の縄掛突起を作り出している。突起は大きいが上面は傾斜していて、斜面部の長さは約三五センチ、幅は約四〇センチあるものの、前節で紹介した河南町金山古墳の石棺と比べて退化した傾向がうかがえる。
棺身の長さは二五一センチ、幅一五二センチ、高さ九〇センチ余りあり、棺側の厚さは約三〇センチに達する。内部は棺側の厚さを除いて奥行一八二センチ、内法の幅八五センチあり、深さは五〇センチ、これに棺蓋下面の内刳りを加えると内部の高さは約六〇センチある。棺身の開口部の石栓は直方体状をなし、外側面はつば形にやや大きく作られ、内側に向かって細くなり、棺身部の孔もこれに合わせて内方が狭くなっている。つばの中央に方形の浅い枘受けのくぼみが穿たれている。この石棺は棺蓋・棺身ともに二上山産の凝灰岩で作られ、とくに棺蓋の材石中に砕屑化した大小の角礫を多く含んでいるのが目立つ。これに対して石栓は、羽曳野市寺山産のいわゆる寺山青石と称する石英安山岩を加工して用いていることに注目したい。なおこの寺山青石は羨道の側壁に、天井石との間の隙間をふさぐ填石としても使われている(371)。