棺側の瓦積施設

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この古墳の施設として最も重要なものは、家形石棺の周囲に平瓦を主とする屋瓦を積み上げていたことである。瓦積は石棺を囲んで東・北・西の各側にあり、全体として南側を除きコの字状をなしていて、他の古墳にはまだ類例の知られていない珍しい遺構であった(考古三八・三九)。瓦積みは棺側から最も幅の広いところで七〇センチ近くあり、棺底から積み上げられていたとすると、調査当時高さ七〇センチほどあったことになる。平瓦は完形品を凹面を上にして並べた状況がよく認められた。この事実から、この古墳は玄室の構築を省略したかわりに、瓦積みをめぐらして護壁としたことがまずいえる。さらにこれらの平瓦が用いられた事情について、古墳の東南麓に近接して造営されていた新堂廃寺の屋瓦との密接な関係を指摘しなければならない。このことはお亀石古墳が新堂廃寺の造営後に築造されたこと、寺院を建立した施主というべき檀越と、古墳の被葬者とがおそらく同一人物である可能性が強いというきわめて重要な結論を導くことができる。前節でこの問題についてはすでに若干の考察を加えておいたが、瓦積みの護壁は塼築墳の構造とも共通する要素を有している事実も指摘しておかねばならない。