分布遺跡と地形区分

471 ~ 472

人びとの生活の営みが行なわれる場が集落である。そこには文化があり、歴史が住居の痕跡や使われた道具の中に刻み付けられている。

 歴史時代の集落遺跡の分布を明らかにする手がかりとしては、文献史料に現れる集落に関する記事、考古学的には、土師器と須恵器の散布地がある。厳密にはその遺跡を発掘調査した後でなければ集落遺跡かどうかということと、遺跡の時期を確定できないが、ここでは将来の調査に先立つ資料整理の立場から説明を加えておく。集落の時期もとくに細分せず、古墳時代を中心にそれ以前のものも含め飛鳥~平安時代にわたって総括的に扱うことにする。いまこれらの土器片の散布を認めた地域として二二カ所をあげることができる。その遺跡の分布を整理すると、市内の東半分の地域に集中していて、羽曳野丘陵上と以西の金剛団地地区を中心とする五軒家、青葉丘、加太、伏山、須賀にはまだ見出していない。その理由は地形的に隣接する狭山町や河内長野市の地域に集落遺跡が含まれているためと考えられる。