市内東半部の分布地域を石川によってさらに東西両域に分けると、左岸にあたる西岸の地域では羽曳野丘陵の東縁に沿う河岸段丘上に点々と土師器・須恵器の散布地域が分布している。地域的なグルーピングを試みると北部の喜志・中野と、南部の甲田・錦織の各地区となる。喜志・中野地区には四遺跡、甲田・錦織地区には七遺跡がある。右岸にあたる東岸の地域では、山中田・板持地区の四遺跡、彼方・伏見堂地区の三遺跡、佐備・竜泉地区の三遺跡、別井地区は北別井から南別井にかけての一遺跡がある。これらを通観してみると西岸はそれぞれ石川に沿う河岸段丘上に立地しているのに対して、東岸では彼方・伏見堂地区が同様な河岸段丘上を占めているが、別井地区は千早川、山中田・板持地区は宇奈田川、佐備・竜泉地区は佐備川と、それぞれ石川に注ぐ支流に沿っている。このことは集落が水系に沿いつつ発達、展開したこと、換言すれば自然灌漑に適した河岸段丘という自然的条件を充分に利用する形で、逆にいうと農耕に適した肥沃な堆積土の広がりに支配されてこれらの集落が成立したことを示している。
つぎに地区別にそれぞれの遺跡名を掲げて説明を加えることにする(391・392)。
Ⅰ 喜志・中野地区
1 喜志遺跡
2 粟ケ池遺跡
3 中野遺跡
4 新堂遺跡
Ⅱ 甲田・錦織地区
5 甲田遺跡
6 新家遺跡
7 原田遺跡
8 錦織遺跡
9 寺池遺跡
10 錦聖遺跡
11 錦織南遺跡
Ⅲ 山中田・板持地区
12 山中田丸池遺跡
13 梅田遺跡
14 尾平遺跡
15 西板持遺跡
Ⅳ 彼方・伏見堂地区
16 彼方遺跡
17 ジョ山遺跡
18 伏見堂遺跡
V 佐備・竜泉地区
19 柿ケ坪遺跡
20 佐備川流域遺跡
21 佐備川遺跡
Ⅵ 別井地区
22 別井遺跡
Ⅰの喜志・中野地区の四遺跡は羽曳野丘陵の東縁と石川にはさまれた南北三キロ、東西〇・六キロの細長い地域で、石川から比高差一五メートルの平坦な河岸段丘上にある。この遺跡の周辺には式内社の美具久留御魂神社と、飛鳥時代の創建にかかる新堂廃寺があり、前章で説明した真名井古墳、鍋塚古墳、宮前山古墳、お亀石古墳などが分布している。このように古墳時代以降の各種遺跡や式内社が密集している地域的環境の中に位置しているといえば、この集落遺跡がもつ歴史的重要性がよく理解できるであろう。喜志遺跡は第四章の弥生遺跡とほぼ重複し、弥生時代の包含層の上をおおって、表土とその直下から須恵器片と土師器片が出土する。須恵器片は同心円叩目文をもつ六世紀代からやや新しいものまで含んでいるが、まだこの時期に属する住居址関係の遺構は調査したことがない。地形については第四章で説明したところに譲って省略する。