前述したことと関連するが、とくに須恵器片の分布範囲については、新堂廃寺から東方に二〇〇メートル離れた若松町西三丁目に始まって若松町五丁目におよぶ、南北二〇〇メートル、東西三〇〇メートルの範囲が最も濃密で、全体の半数以上の約三〇〇〇片を採集している事実に注目したい。まだ具体的な発掘調査で実証するに至っていないが、こうした土器片の集中分布は、この地域内に居住遺跡としての集落が存在していた可能性を何よりも推測させる根拠となるからである。
新堂廃寺と古代集落址
前述したことと関連するが、とくに須恵器片の分布範囲については、新堂廃寺から東方に二〇〇メートル離れた若松町西三丁目に始まって若松町五丁目におよぶ、南北二〇〇メートル、東西三〇〇メートルの範囲が最も濃密で、全体の半数以上の約三〇〇〇片を採集している事実に注目したい。まだ具体的な発掘調査で実証するに至っていないが、こうした土器片の集中分布は、この地域内に居住遺跡としての集落が存在していた可能性を何よりも推測させる根拠となるからである。