古墳時代の建物の復原

481 ~ 482

古墳時代にはまだ竪穴住居の例もあるが、ふつう平地上に壁と屋根をもつ平屋が建てられたらしい(400)。竪穴住居の例として一辺が五~二・五メートルの方形で、深さ二〇センチほどに掘りくぼめた例がある。中央に炉があり、床面に四個の柱穴が残っていて、弥生時代とあまり変らない構造であることが知られた。平地住居でも柱穴は残るが、地表面に小ピットは比較的多く検出されるのがふつうであるから、柱穴を識別して建物の存在や規模を決定するのは、かえって困難となる場合が多い。とくに建物が同じ地表面を利用して何回も建て替えられている時には、非常に複雑となり、発掘当事者が最も困惑するケースとなる。しかもこれは一般の集落遺跡のように、あまり規模が大きくなくて、柱材も細い掘立柱が使用されている時にしばしば生じる。

400 中野遺跡の太い柱根をもつ住居状遺構、須恵器片が床面から出土

 古墳時代の建物を立体的に復原するには、家形埴輪が非常によい資料となるが、埴輪には入母屋風造、切妻造、片流造、寄棟造など、すでに各種の屋根が見られ、中には大棟に堅魚木(かつおぎ)をならべ、両端に飾板を取り付けて、見るからに豪族の居宅を思わせるものも多く、農村集落の建物とは大きな懸隔があったことを指摘しておかねばならない(401)。おそらく当時の居宅は、四個の主柱をもつ隅丸方形のプランの一室からなるもので、一辺の大きさは五メートル程度までの規模であったであろう。

401 群馬県今井茶臼山古墳から出土した豪族の居宅と思われる堅魚木を上げた家形埴輪