新家遺跡は甲田遺跡の西方六〇〇メートル離れたさらに高い段丘上に位置し、ちょうど近鉄川西駅をはさんで東西に相対している。この遺跡は羽曳野丘陵の東縁が傾斜変換線から緩やかに東方に向かって下降する地形をなし、錦織神社南寄りの参道から西にかけて東西三〇〇メートル、南北二五〇メートルの範囲で、いま川西小学校と第二中学校の校舎敷地となっている。遺跡が最初に発見されたのは校舎増築工事の際で、地下五〇センチほどの深さから土師器片を出土した。一九七九年に第二中学校の校舎増築工事に先立って試掘調査をした時にも、平安時代に属するとみられる土師器片を多数出土したので、新しい時代に属する集落遺跡として注目すべきものである(404)。