錦織の遺跡群

485 ~ 485

原田遺跡は新家遺跡の南南西約一キロの地点にあって、後述する錦織、寺池、錦聖、錦織南の諸遺跡と接近した遺跡の一つで、巨視的にみれば現在の錦織を中心とする南北一・五キロ、東西一キロの遺跡範囲の一角を占めている。遺跡の立地は羽曳野丘陵の東縁に接し、標高九〇メートルあまりで河岸段丘としては市内で最も高い位置を占め、石川の河床面との比高差は三〇メートルに達している。分布調査により遺物の散布範囲を南北一二〇メートル、東西六〇メートルと推定したが、稀薄な散布地域はもっと広くて東西南北ともに三〇〇メートルにわたっている。採集遺物は石鏃、石匙など弥生時代に属するものから、土師器、須恵器におよび、遺跡のほぼ中央には白鳳時代の瓦を出土する細井廃寺がある。遺跡から西北方に二〇〇メートル離れた羽曳野丘陵の突端を占めて前期の廿山古墳があり、西方に二〇〇メートル離れて後期の花崗岩切石を用いて構築された南坪池古墳があるなど、古墳と遺跡との関係も重要といえよう。