錦織南遺跡は上記の諸遺跡と異なり、錦織集落の位置する台地の南側にあって、石川との間にはさまれた低地上を占め、石川の河床面とほとんど高さに差がない。いま遺跡の中央を国道一七〇号線が走り、遺物の散布地域は東西に分断されてしまっているが、耕作地のほぼ全域から各種の遺物を採集した。散布範囲からみて南北一〇五〇メートル、東西五〇〇メートルの広さで、とくに高橋の南西三〇〇メートル、錦郡小学校の南東二五〇メートルの地点を中心として、国道東沿いの長さ三〇〇メートル、幅七〇メートルの耕作地に濃密な遺物の散布が認められることを指摘しておきたい。
採集した遺物の中には土師質の土器片が一六八九片、須恵器が一一七三片、サヌカイト片が一九〇片、瓦器が八九片、瓦片が六片あり、石鏃三個が含まれていた。須恵器片は細片で器形を知ることはできないが、同心円叩目文を有する破片も若干含まれていることからすると、六世紀頃を中心とする年代に属する遺物も存在することが予想されよう。
これらが石川の西岸に位置する諸遺跡とすると、東岸にはどの地域に遺跡が分布しているであろうか。まず石川の河岸に近い地域で下流にあたる北部の地域から始めて、南部および東部におよんでいくことにしよう。