遺跡から出た大型壺

490 ~ 491

遺物は須恵器、土師器および瓦片が広い範囲にわたって散漫に散布しているにすぎないので、今後地域内の試掘調査を重ねて遺跡の部分を限定していく必要があろう。この点に関して興味があるのは、西板持の西方で、かつて畠の中から完形の須恵大型壺が出土している事実である。この壺は現在西板持の乾秀行氏宅に保存されているが、同氏の所有地から出土したもので、地形は西方に向かって少しずつ下降していく微高地上に位置している。土器のみの単独出土であるため、遺構の性格は明らかではないが、集落に関連する遺跡の一つといえよう。

 壺は球形の胴部に短頸で外反する口辺部を有するもので、高さ四六センチ、口径二二センチ、胴径四〇センチの丸底の土器である。口縁端部は外反して斜めに突出し、その直下に一条の段がある。頸部をめぐって縦方向のカキ目が認められる。胴部は全面に縄蓆文の叩目があり、さらにその上に九条のヨコナデを加えて縞状に消している。内面は同心円の叩目がある。Ⅰ型式に近いⅡ型式に属するとみられるので、六世紀前半の時期と考えられる(410)。

410 西板持台地上出土の須恵質大型壺