土壙中には比較的深い位置に平底をもつ弥生式土器底部の破片があり、その上方の包含層の中間を通じて、ほぼ水平に土師器片が存在していた。さらにこの上方の、包含層のほとんど上面に近いところに須恵器の破片が土師器片と共存していた。上方の土師器は中間の土師器と色調を異にし、胎土にも差があることを思わせたが、器形、型式などは区別しえなかった。須恵器片の中には把手が脱落した痕跡を有する杯や、貼付装飾をもち波状文をめぐらした杯などがあり、Ⅰ型式に属する五世紀後半の資料である(418)。
また別に南別井から弥生式土器の完形の高杯と壺の破片も出土している。高杯は高さ一三センチ、底径約八センチで、メガホン状に開いた脚台の上に浅い杯部を取り付けている。脚台の側面には比較的小さな円孔を三孔穿っている。後期の庄内式に属する土器である。
この別井地区に対しては従来ほとんど発掘調査が行なわれていないので、今後の調査に期待する点が多い。