前節で述べたように、市教育委員会が行なった分布調査で、弥生式土器、須恵器、土師器など各種土器片の散布から、市域内を流れる石川の中流域を中心として、少なからぬ遺跡の存在が知られた。これらの遺跡の性質は河岸段丘上や沖積地に臨む微高地上に多く位置しているところから、おそらく大半が集落に関係したものと推測できる。今後発掘調査の機会が得られた段階で、それぞれの遺跡の内容について、集落が始まった時期、規模、継続期間、あるいは個々の住居址の具体的な遺構などが明らかになるであろう。とくにこれらの遺跡に散布している土器片の中に、須恵器・土師器・瓦器など新しい時期の遺物が含まれていて、歴史的編年にあてはめると飛鳥時代から奈良時代にかけて存続していた集落が相当あったことを思わせる。集落が農耕生産を基盤として成立したものであるとすると、その後中世から近世にかけての村落に発展して、現在の市域各地の集落の原形にあたる意味からも、これらの古代集落の分布は大変興味深いものといわねばならない。