飛鳥時代末期、石川中流西岸の羽曳野丘陵東麓に、河内国でおそらく最も古い寺院が創立されたのも、この背景からみれば決して異とするにあたらない(421)。市内緑ケ丘町の住宅地内にある新堂廃寺(ヲガン寺)がこれである。創建着手の時期は後述するように六三〇年代と考える。大阪府下に含まれる摂河泉三国の中で、摂津荒陵寺すなわち四天王寺が六二〇年代の創建にかかる最初の寺とみられるから、新堂廃寺はそれに次ぐものとしてよいであろう。すなわち新堂廃寺が創建されたのは、わが国で本格的な寺院建築が大和南部の飛鳥寺で最初に始まった五八八年(崇峻元年)から遅れること、わずかに半世紀であった。仏教の伝来と寺院造営にかかるこの間の有名な経緯に触れておくことにしよう。