伽藍配置と年代

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一九五五年から五七年にかけての四天王寺の発掘調査によると、飛鳥時代の屋瓦を多量に出土したのは、塔・金堂の周辺、中門の三カ所で、これについで南大門がやや多量にあり、回廊では奈良前期以前の瓦はきわめて少量であったことが指摘されている。この成果をもとに、文献資料とは別に創建時の寺院として「いわゆる飛鳥時代に完成した建築は塔・金堂・中門・南大門などであり」、回廊と講堂はやや遅れて奈良時代前期に建てられたと結論した(『四天王寺』文化財保護委員会 一九六七年)。福山敏男氏は別に「聖徳太子時代の寺院」と題する論考の中で、軒丸瓦の瓦当文様から飛鳥時代の諸寺院の創建年代の編年を試み、荒陵寺すなわち四天王寺の創建着手の時期を六二五年頃と想定している(福山敏男『日本建築史研究』所収 一九六八年)。