飛鳥時代を通説にしたがって六世紀中葉から七世紀中葉に至る約一〇〇年間とすると、この間にどれほどの寺院が、どの地域に建てられたかは興味のある問題である。この検討には『日本書紀』以降の文献資料をもとにする方法と、実際の寺址の分布による方法とがある。とくに後者は寺址から出土する屋瓦の型式によって、最も古い年代をもとにして飛鳥時代創建の当否を論じる場合が多い。ただし新しい建物に古い時期の屋瓦を転用することもよくあることなので、同じ寺地で再建された場合には問題はないが、寺地そのものが遠隔地に移建された場合には問題が残る。
たとえば奈良市芝新屋町の元興寺は、本来飛鳥真神原に創建された元興寺、すなわち飛鳥寺を、平城遷都にともない七一八年に新京左京六条四坊に移したものである。この奈良市元興寺極楽坊の屋根葺料には、飛鳥時代の屋瓦が混用されている(429)。こうした点からすると、寺址が飛鳥時代までさかのぼるかどうかは、たんに瓦片から判断するのは危険で、発掘調査によって遺構の状況からも実証することが必要であろう。新堂廃寺の場合にもこの点を考慮に入れて多角的に検討する必要があることを指摘しておこう。