個々の寺の創建着手時期についてはまだまだ異論は多いと推測されるが、飛鳥時代に創建された寺院群を、出土した軒丸瓦の型式編年から平均的に割り付けてみようとする試みは評価されてよい。すべての寺院について文献によって創建年代を明らかにすることが不可能な以上、土器型式の編年に似た発想で可能性を探る方法は、考古学の立場からすれば当然と考えられるからである。異論が生じた場合には、軒丸瓦の型式編年を修正して上下限の枠内で上下させればすむことである。新堂廃寺に関していえば、創建期間を六三〇年~六五〇年とするのは若干時期が下がり過ぎるかと考えられるふしもあるが、筆者としては出土した初期屋瓦の年代を六二〇年代に位置づけたいので、ほとんど年代は相違しないというべきであろう。新堂廃寺と関係の深いお亀石古墳の築造時期を古墳の編年から六四〇年頃と推定するが、この点から検討しても両者は矛盾しない。