明治一五年の日付をもって編集された河内国石川郡中野村の村誌をみると、「湖沼」の項の中に一二カ所の灌漑用水池があげられている。その中に「字ヲカンジ池 東西壱町五拾間 南北三拾間 周囲四町三拾間」とあり、古くからの地名であることを思わせる。石田茂作氏も前記の『飛鳥時代寺院址の研究』本編で、新堂廃寺の項の冒頭に「大阪鉄道富田林駅の西北約八町のところに、用水池『ヲカンジ池』と云ふのがある。此の付近一帯布目瓦片の散布を見るのみならず、寺山、堂ノ前等の小字名の存する事は、旁々以て往古の寺院址である事を知る」とまず記している。「ヲカンジ」に「烏含寺」の字をあてはめることが可能ならば、さらにもう一歩進んだ考察が可能である。